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中野店ブログ 薬 よもやま話
更新日:2021年08月19日
医療のあけぼの
5世紀ころから、半島(新羅・百済)や大陸(隋・唐)文化の移入とともに、医学の知識も入ってきました。8世紀になり、律令制のもと内薬司・典薬寮など、初の医療制度が生まれました。しかし、一般庶民は、その恩恵に浴することはできませんでした。当時、一般庶民の医療はまだまだ「神頼み」の域を出ることはなかったのですが、寺院の施薬事業など、僧医の活躍を見逃すことはできません。
こうした僧医の活躍の一方で、従来の医学に固執し、僧医学の流れに乗り切れず弱体化した官医たちは、苦しい生計を立てるために、一般庶民の診察も手掛けるようになりました。町医者、いわゆる開業医が出現するようになったのです。
薬業の発展
売薬は各地の社寺や医家で、神仏のご託宣、あるいは家伝、秘方などと称して作られていました。
一方、江戸中期になり、都市や街道の整備、流通経済圏の拡大に伴い、薬業も大いに発展しました。中国からの医薬書の導入などもあって、優れた売薬が各地で作られるようになりました。特に京・大阪・江戸の各都市、街道筋、門前町に薬屋が大きな店舗を構えるようになりました。
これらの店舗では、目を見張るような立派な看板を掲げ、多色刷のチラシを作るなど、広告宣伝に大いに力を入れて一般の関心をひきました。薬屋は当時から常に先取的で、商業経済の上でも、広告面でも時代の先端を行っていたようです。
<中外製薬の資料参考>